SSブログ

マスコミ [体育・教育]

今朝、一連の亀田問題の謝罪会見があった。
出席したのは、ジムの会長と亀田家長男の興毅選手。

これまでの興毅選手とは思えないような表情での会見であった。
21歳の青年には厳しすぎる記者会見のように思えた。

あれだけやってきた青年が、頭を下げている。
何もかも認めて謝罪する。
これで十分じゃないか?と会見を見ながら思った。

過去を執拗に掘り返す記者。
息子に親の批判をさせようとするような質問。

たしかに、彼ら一家のしてきたことは誉められたものでもないし、反則行為や対戦相手への侮辱行為等、謝って済むことではない。
しかし、彼らにはそれ相応の処分が下されいる。
父である史郎氏への批判は多々あるだろうが、興毅選手へぶつけることではないと思った。
成人間もない青年が、様々な批判を受けることもわかった上で、覚悟を決めて、一家を代表して出てきて謝ったということの彼の気持ちをもっと察してやるべきではないだろうか?

私は、亀田批判派であった。
トップスポーツ選手としての規範意識に欠けている点が多々見られたからだ。

でも、今回の会見を見て、マスコミの非道さを目の当たりにした。
過剰な報道が若いスポーツ選手たちを色んな意味でダメにしている気がする。。。
残念!


あいのり久しぶりに見てます [体育・教育]

土曜日、プールの子どもたちにクイズを出しました。

「道路を横断する時には、右ー左ー右を確認して手を挙げて横断しましょう」と言われたことがあると思う。左右の確認は安全確認のためであるが、ではなぜ右ー左ー右の順番なのだろう?
幼稚園や小学生の時には、呪文のようにおぼえた。

確認はしていないが、これには理由があると思う。
答えは、日本が自動車左側通行だから。
横断する時、必ず手前を走る車は右から来る。
だから右から確認する。
んだと思う。

答えを言うと子どもたちは納得。
物事には、なぜそうなのか理由があると思う。
何気なくしてることの理由を考えることは大事だと思う。
知識の伝達においても大事だと思う。
伝統を守るという視点からも言えると思う。

世の中には伝統と呼ばれることがある。
それは不合理なことから文化的なことまで様々である。
伝統が崩される時、その伝統が悪いことであれば当然崩すべきだが、そうでない場合、受け継いでいくべきだと思う。
その時に、その伝統が続いてきた理由を考えるべきだと思う。
そうすることで、良い伝統は残され、悪い伝統は消されていくと思う。
何事についても思考を巡らせることが大事だと思った。

あっ、モリケン告白成功した!


貪欲祭り終了 [体育・教育]

今日,奈良に家族で出かけていました。

行く途中の車で,あるひとつの言葉が耳に入ってきました。

朝昇龍や亀田に見られるようなスポーツ界での「規範意識の欠如」が目立つ。

その通りだと思いました。

個性だ,個人の自由だと主張があるかもしれないけど,そういう見られる立場になった時,そうも言っていられないと思います。

人は,自分ひとりではないからです。

学校に行っていれば,学校の名前がついてくる。
どこかのチームに所属していれば,そのチームの名前がついてくる。
就職していれば,その就職先の名前がついてくる。
そのそれぞれが所属している所には,先にも後にも数え切れない人たちが関わっています。

自分が,何か問題を起こせば,悪い印象を与えれば,当然そこに所属する人たちにも影響があります。
逆に良いことでも同じことが言えます。

見られる存在になれば,さらにその影響力が強くなると思います。
亀田選手が叩かれるのは,そういう立場からの意見もあるからだと思います。
学校の先生になる人も,将来,先生になる人として見られると思います。

「規範意識」大事だなと思います。
自分にも足りないと思うので,もう少し普段の生活の仕方を見直したいです。
さすが,教育大の生徒だ。将来,先生になるだけのことはあるな。と思われるように。

人目を気にして生活するようで嫌ですが,教育界への風当たりが強い昨今なので,そういう所から見直せてもらえるように頑張ろうと思います。


夜回り先生 [体育・教育]

夜回り先生こと、水谷氏の講演が我が大学でありました。

なんと言うか、、、ショックを受けました。
何か完全にやられた感がありました。。
抜け殻にされたというか、何と言うか。。。

それくらい衝撃的な話でした。
教育の在り方。教師の在り方。
自分が思ってたのと同じこと・違うこと。
すごく刺激になりました。

その後、ゼミ室に帰って、研究生の先輩と院の先輩と、教育について緊急会議。
こういう話を学生間ですることで、自分の考えがハッキリし、また人の意見を聞いて考えたり。これぞ、同じ目標を持つ人同士だから高め合える、大学のいい所だと思います。
残念ながら、学部時代ではそういう話までできなかったけど、大学院生になった5年目でやっとできました。この大学に来て良かったと思えました。

その後、学部生も加わり、次第に、N教再生会議へ突入。

水谷先生の話を聞いて、このままじゃダメだと思いました。
自分自身も、周囲の人たちも、大学も。
会議メンバー間でもそういう話になり、何かアクションを起こしていこうという話になりました。今まで、目をそらしていたことや、実行できなかったことを。。。

教師になる人間として、目指す人間として、ふさわしくなれるように。。。
ガンバリマす!!


47 [体育・教育]

この数字は2年連続。

国体天皇杯徳島県の順位です。
競技力低下が叫ばれ、子どもの体力低下問題が深刻らしいし。

一概にも今のやり方が悪いとは言いません。
国体の順位なんかは、団体競技で上位入りするチームが多い県が点稼ぐしね。

しかしまぁ徳島県の体育はどうなんの!?




体力低下 [体育・教育]

今朝の徳島新聞に,「阿波っ子が危ない」という題で,子どもの体力低下の記事が載っていた。

何やら,1985年以降,低下しているらしい。

また,毎年行っている新・体力テストの結果を見ても,体格は平均もしくはそれより大きいのに,新・体力テストの結果は悪く,1500m走では,全国平均よりも22~55秒くらい遅いらしい。
最近は特にひどく,歯止めがきかない状況のようだ。

85年以降ってことは,オレもその中に入ってるやん!
オヤジやオカンの方がすごかったんかぁ。。。

そんなことはないはず!(そう思いたい)
新聞にも出てたように,格差が広がってるのだと思う。
できる子はすごいけど,できない子は全然できないのだと思う。

経済力や学力と同じで,体力も二極化。
体育では適時性と言われるように,「この年代ではこういう能力を高めないといけない,あるいは高めるのが効果的」というのがある。
いったいどれだけの人がそういうことをわかって指導しているのだろうか?
そういった指導ができる環境は整えられているのだろうか?
そのような指導をした後の評価はされているのだろうか?

こんな現状の中,私には何ができるのでしょうか?

毎日,何となく過ぎていってる気がします。


決意! [体育・教育]

後期から、言っていきたいと思います。

嫌なことを。
具体的には後輩の指導です。

最近の上級生は、私を含め優しくなりました。
苦言は言わなくなりました。
後輩とも仲良くいたいからです。(私の場合)

でも、やめます。
ダメなことはダメって言います。
いいことはほめます。

多少嫌われたって良いです。
苦言を言うのが先輩の仕事です。
言われて初めてわかることの方が多いんです。
先生方もそういうところは院生に期待しているようだし。
私は、学部から上がってきてるので特に。

とりあえずは駐車取り締まりだ!


嬉しいこと。 [体育・教育]

先にも書いた、教えてる子が新聞に載った!ってのも嬉しいことだ。

今日は、附属中学に実習生の研究授業を見に行っていた。

中学には、2年前に実習で教えた生徒達がいるのだ。

逢えるのが楽しみ。

もう2年も前のこと。

この人誰?とか、この人見たことあるけど、なんて人だっけ?
なんて反応もなきにしもあらずで、まぁこんなものかな?って思うんだけど、中には「先生久しぶり」なんて声も聞こえる。

憶えててくれルンやな☆

配属クラスの子ならまだしも、体育の授業だけで教えただけなのに憶えてくれてて、声をかけてくれる子もいる。

何か嬉しくなります。

名前までちゃんと憶えててくれててね。

あの日と同じように話ができる感じもまた良いな。

来年は行ってもこの子たちはいないんだな。

ある意味、今回が逢うのは最後だったかも?

みんなの進路が心配です。

ある生徒に、毎回行くたびに言われる一言
「先生、もう先生になったん?」

はやく先生になろっ!


新聞記事 [体育・教育]

月曜日の新聞に子どもの夏休みのがんばったこと特集が載っていました。

よく見ると,うちの大学の先生が審査員やし。

水泳のことを書いている子が多いなぁ。

って,この記事オレが教えてる子のやし!

そこには,県の水泳検定のことが書かれていました。

市の大会に向けて練習がんばって,県に出れたんだけど風邪をひいてしまって...という記事でした。

プールでは,1級が合格してしまうと泳がすだけになってしまいがちです。

私は,その子に,まず背泳ぎのクイックターンを教えました。
マスターしたので,次はスタートを教えました。競泳選手がするような本格的なスタートです。
今は,スタート・ターン後のバサロをを教えています。

こうやって,能力に合わせた次の目標を与えてあげることで子どもはどんどん伸びると思います。
指導現場では,どうしてもできる子に対しての関わりが少なくなるような気がします。(問題のある子や,できていない子に目がいきすぎて…)

それを象徴しているのが,父親殺害事件を起こした子どもは「学校では問題もなく...」という学校側のコメントに現れているのではないでしょうか?
子どもはおそらく,関わりを求めているのだと思います。
"優等生"ほどそういう機会が少なかったりします。
指導者側は,あの子は優秀だから大丈夫と思ってしまうからです。

平等に接するというのはそういう関わる機会を均等につくることだと思います。
目標達成できている子も,そうでない子も。


修士論文 [体育・教育]

今日から、少しずつ動き出しました。

今日は、おじのいる阿南市役所に問い合わせに行って、図書館の市史編纂室という市の歴史を取り扱っている部署を教えてもらい、行きました。

そして、ある1冊の本を見ました。阿南市史の本を見ると我が大学の学長が関わっていました。

お昼を懐かしのポルペッテでご飯を食べました。

午後は、じいちゃんちに伊島での水泳についてインタビューに行きました。

本来なら、自分で知らない人の所にアポをとって訪ねて、ってするんだけど、身内なもので、そういう手続きがかなり省略されています。
研究自体も、先生自身の研究でもあり、同時進行でいく感じです。

そういえば、卒論のアンケートも責任者の人が、親しい人だったり、中学水泳部の顧問だったり。
何か、人脈に助けられている。人脈って、大事ですね☆
どこで、誰に助けられるかわかりません。敵は作っても得はしないね。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。